2013年11月27日

百年前の家庭生活について書かれた本


百年前の家庭生活

こんな本を読みました。
ほぼ明治三十年代の家庭史です。

1900年(明治三十三年)から1907年(明治四十年)のナマの言葉を拾い集めたもので、都市、農村、漁村の人々が対象になっています。
一見小難しそうな雰囲気ですが、なかかな興味深く読めました。
今まで明治・大正時代の和洋混在している雰囲気がなんだかかっこよく思えて憧れていましたが、この本をひと通り読んでみて、今の時代に生きることができてよかったと、しみじみ思いました。。。

とにかく貧富の差がとんでもなく激しいです。
都市の中での貧富の差も相当激しいし、東京と農村・漁村を比べると、別の時代?と思えるぐらい生活レベルの差がありすぎるんです。

例えば食生活を例に挙げると・・・
明治三十年代前半の東京の食生活は「常食は米飯、麦を交じるうは少なく、たまたまこれあるも多くは挽割を以ってす」「都人は実に麦飯を嫌えリ。『麦飯を喰うくれえなら死んだ方がましだ』という江戸っ子もあれば、・・・(以下略)
(P81)
麦飯を食べるぐらいなら死んだ方がましだと、江戸っ子が言うてはります。

一方農村では・・・
以上のように農村においては米を麦や雑穀と混ぜた「かて飯」として、貧しい者は大根やその葉と混合して「かて飯」として食し、米だけの飯を炊くということは都会以外ではなかった。
(P131)
米、麦の他に、大根やじゃがいもや、さつまいもなども主食だったようです。

驚いたのは東京の勤め人の弁当で、明治三十八年の『家庭雑誌』に掲載された弁当の費用別の一週間献立例として、
第二日(鎌倉ハムのサンドイッチ・ミルクチョコレート)
だとか、
第六日(ロースとビーフと・ボイルドポテト)
だとか、現代でもありえないようなハイカラな献立が載っていて、たまげました。
「実例ではない」という注意書きがあるので、実際こんな弁当を持参していた人がいたのかどうかわかりませんが、雑誌で紹介されているだけでも驚きです。
弁当の費用別の一週間献立例なんて、今の主婦向け雑誌に普通に載っていそうな内容ですよね。

ただ、当時の勤め人(サラリーマン)は上層階級の職業だったようで、同じ東京でも下層階級の庶民の生活は全く様子が違います。
・・・しかし外米も買えない貧民は、兵舎、工場の寮、飲食店、弁当屋等から出る残飯を買ってしのいだ。・・・
(P113)
・・・一杯二銭の麦飯である。この麦飯は実は監獄の囚人が食ひ余した南京米と麦との混合米で犬も食わないような食物なのだ。これを一手に売っているのは、入谷町九二番地西山という家であるが、夕刻にこの西山の家に行ってみると、残飯を買うべく貧民が群集して、子供や老人にはなかなか容易には買えない位だ。・・・
(P113)
想像を絶する悲惨さです。
この状況を表している写真とイラストを見つけました。
http://www.tanken.com/hinminkutu.html
(100年前の貧民窟を行く|探検コム)

食生活以外にも、衛生面(風呂にどれぐらいの頻度で入るかとか)や子供たちの学校生活など、興味深いことがいろいろ乗っていたのですが、一番衝撃だったのが「嬰児殺し」と「小学生の喫煙」で、
・・・高地では子が大体三人を超えると、予め穏婆に男なら挙げず、女ならば挙げんといったことを言っておいて、この場合男が産まれたら穏婆に属して圧殺せしめる。鳥取県の例としては母親が嬰児の兄姉に、早く灰を持って来よ、オギャアオギャア泣くと面倒だから赤の口へ灰を入れろと命じる。・・・
(P175)
・・・また明治三十四年刊行の『東京風俗志』には、煙草の国産化により喫煙が流行し、「小学児童煙を吹いて学舎に出入りするを見るが如きに至り」との記述がある。休憩時間には、先生も児童もいっせいに煙草をのんで煙がもうもうと立ちこめ、窓を開けなくては授業にならないという教室もあった。・・・
(P238)
これがたった100年前のことだとは・・・
今の常識では考えられないことが他にもいっぱいあったんでしょうね。


著:湯沢 雍彦 , 他
出版社:クレス出版
発売日:2006/08
Amazon.co.jpで詳細を見る

監修:小沢 健志
出版社:山川出版社
発売日:2013/09
Amazon.co.jpで詳細を見る


著:塩見 鮮一郎
出版社:文藝春秋
発売日:2008/09
Amazon.co.jpで詳細を見る

こちらの記事もどうぞ